訪問記 No.7
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訪問日 02/12/21−23
訪問先。長崎・大村線、島原鉄道。
1.計画
佐賀・長崎県の駅には鹿児島本線の5駅しか訪問していない。
一番時間のかかりそうな島原鉄道を天気がよければ、トレンクル(折り畳み式自転車)で全駅回り、あと、諫早・長崎付近の駅を回って、大村から長崎空港に向かうつもりだ。
東京駅から新幹線で岡山駅まで、夜行の特急「あかつき」に乗り継ぎ「長崎・佐賀ゾーン」に入るつもりだ。
2.第一日(02年12月20日)
東京駅を定刻の19:20に「のぞみ91号」で出発する。前に座った女性がシートを倒してもよいかと聞いてからシートを少しだけ傾けた。ちょっとしたことで気分がよくなる。乗車した6号車は名古屋で少し乗客の入れ替えがあったが、ほぼ満席である。
京都駅到着の直前に立花−甲子園口の人身事故で在来線のダイヤが乱れているとの放送がある。でも、新大阪駅で新幹線の乗り継、岡山駅で在来線に乗り換えだから関係はなかろうとたかをくくっている。
新大阪駅からのひかりレールスター397号は一列が4人掛けのゆったりとしたシートである。最後尾の8号車でコンパートメントがあるが、ここには乗客はなし。普通座席にも空席がちらほらある。定刻の22:45に岡山駅に着く。
在来線はダイヤが乱れていて、寝台特急(一部座席車もあるけど)西鹿児島行の「なは」同南宮崎・長崎行の「彗星・あかつき」は大きく遅れているとの放送がある。遅れは「なは」は不明、「彗星・あかつき」は70分とのことであった。
残念なことに、目的地の長崎地方の天気予報は雨である。諫早駅までの寝台券(シングルツイン)を買ってあるが、鳥栖駅で降りて列車での移動になるかなと思っていた。
理由はよく分からないが、先に出発した「なは」は3時間以上遅れて午前2時過ぎに岡山駅に到着との放送があり、「彗星・あかつき」は85分の遅れになっている。0時前に、岡山駅は、寝台特急とムーンライト九州の利用者に、会議室を臨時の待合室として提供した。私が利用した部屋は25名くらいで、駅員が利用列車を調査していたが、「なは」が6名、「彗星・あかつき」が6名、他の方が「ムーンライト九州」であった。
「なは」の利用者の中には、結婚披露宴のため西鹿児島に行くグループがあり、三原駅で合流する人がいるらしく、時刻表を真剣に眺めている。それに対して、私は、駅訪問というどうでもいいような用件で、肩身が狭いということはないが、少し申し訳ないような気もしてくる。結局、「なは」の利用者は「あかつき」への振替が行われ、博多駅からL特急の利用になるとのこと。
岡山駅では寝台列車利用者は眼中にないようで、乗車位置の表示もなければ、案内放送もない。おかげで、指定の2輌前に乗る羽目になった。通勤電車を優先運転のため(?)遅れが増大したことからも、寝台特急はお荷物であることが十分にうかがえる。
「彗星・あかつき」は88分遅れの0時45分に岡山駅を発車した。
3.第ニ日(02年12月21日)
開放型のB寝台は3連休前夜なのにがら空きで、全部カーテンが空いている。シングルツインの個室に入る。すぐに検札があり、カードキーを渡される。
2人用の個室としても利用できる上下2段ベッドであるが、上段ベッドには窓がない。下段は、前後に分かれてソファになる。その間には簡易の折り畳みテーブルが設置できる。100V電源、BGM装置がある。浴衣・スリッパ・ハンガーは2組備えてあるが、サンライズにはノビノビ席にもある使い捨てコップのサービスはない。
車輌の古さはどうしようもない。サンライズのシングルツインとつい比較してしまう。料金が同じなのでなおさらだ。
部屋の観察を終えて、すぐ眠りに就く。博多の手前で目が覚める。遅れは更に増し、104分遅れになっている。予報どおり雨が降っている。鳥栖駅までに、しきりに「かもめ号」に乗換え誘導する放送がある。肥前山口駅を過ぎると単線区間になり、遅れが更に増すという案内まである。寝台列車は招かれざる列車なのだ。諫早駅までの寝台券を持っている私には車掌が確認に来る。JRの誘導に関わらず鳥栖駅で降りるつもりだったが、鳥栖駅で降りますと言ってJR九州に協力する形になった。
ちなみに正常ダイヤでも「あかつき」の最後は恵まれていない。次表をご覧になればわかりますが「あかつき」は博多駅では32分早く発車するが、諫早駅では6分の差になり、長崎駅では19分後になってしまう。
| あかつき | かもめ1号 |
博多 発 | 6:05 | 6:37 |
諫早 発 | 8:12 | 8:18 |
長崎 着 | 8:54 | 8:35 |
鳥栖駅では「かしわうどん」で腹ごしらえをし、佐賀駅に向かって行ったり来たりしているうちに雨が上がってきた。トレンクルが単なるお荷物から自転車に変わった。臨時駅の「バルーンさが」に行って、諌早駅に出て、島原鉄道を目指す。「バルーンさが」は鍋島・久保田の両駅の中間の嘉瀬川縁にバルーンフェスタ開催時に開設される臨時駅だ。鉄パイプのホームと聞いていたが、片づけられていて、鍋島・久保田の両駅の駅名標の次駅の部分も元に戻っている。きちんとしたルールがあるわけではないのですが、恒久ホームがないので訪問困難駅とした。
肥前山口駅、肥前鹿島駅と訪問して「かもめ17号」で諌早駅へ移動する。
JR諌早駅と島原鉄道の諫早駅を観察して、駅前の西友のあたりでトレンクルを組み立てようとしたら、パンクである。自転車屋さんで修理してもらって、一時間弱のロスをした。
雨は完全に上がって地面も乾いてきた。島原鉄道の吾妻駅まで各駅訪問する。日没近くになり、吾妻駅から南島原駅まで列車で移動し、宿泊する。
4.第三日(02年12月22日)
きょうは、島原鉄道の残り33駅の訪問を行う。
九州の日の出は遅い。ビジネスホテルで朝食をすませてトレンクルで、南島原駅から東大屋駅を目指す。昨日は暗くてよく観察できなかった南島原駅の駅舎であるが、地方鉄道の駅舎としては立派なので、少しびっくりする。
途中の安徳駅付近の高架部分、水無川の堤防工事は普賢岳の噴火の災害跡である。きれいに整備されすぎているところもあり、それがかえって災害の大きさを示唆している。
島原鉄道は駅間が短く、最大でも有馬吉川−東大屋の4.0kmである。このあたりが、島原鉄道の最南端で、海岸縁をのんびりサイクリングである。東大屋駅から残りの3駅は列車で移動する。
今日は第四日曜日で「のんびり1000」(のんびりせ〜ん、一日乗車券、毎月第四日曜日のみ利用でき、1000円で島原鉄道の鉄道・バス(一部制約あり)・フェリーに乗降自由。)の通用日なので、ありがたく利用する。
加津佐駅から島鉄本社前駅まで戻り、ここから、南島原駅よりもさらに大きい島原駅を通って、昨日の最後の吾妻駅の隣の古部駅までトレンクルで移動する。諌早駅まで列車で移動し、宿泊する。60km超のトレンクル移動で、心地よい疲れを感ずる。
5.第四日(02年12月23日)
今回のハイライトの島原鉄道の訪問を終えたので、最終日の今日は諌早駅から市布駅経由で長崎駅へ、長与駅経由で大村駅から千綿駅まで、諏訪駅に戻り、長崎空港へというのが今日のコースである。
長崎本線の市布駅回りは新線で電化されているが、長与駅回りは非電化単線である。しかし、昔の形跡のある大草駅の長い有効長の行き違い設備、本川内駅のスイッチバック跡など、やはり、抜本的に改築されていない旧本線はみどころが多い。
本川内駅は旧スイッチバックのホーム(利用停止)と本線の新ホームとが並行している珍駅だ。駅舎もなかなかのものだ。スイッチバックホームは長大で水平に施設するために盛土がしてあるのだが、切り通しを含めてそれがかなり自然の地形と一体化している。
大村線には、歴史が古く、駅名(肥前が前につかない)・駅舎・行き違いの線形にかつての幹線を偲ばせる。明治から大正にかけて幹線として建設され、その後、新線の開業で幹線の座を譲り抜本的な改修が行われていない線区はどこか風格が違う。昭和に入ると恐慌になり、軍事最優先となるため、実用本位になってしまうようだ。大村駅は駅舎だけでも見ごたえがある。松原駅は開放感のある駅舎だが、利用者が少ないらしく、手入れが行き届いていないのが残念である。千綿駅は海岸縁にあり、国道がすぐ近くを通っているのは難点だが、駅舎もしゃれていて、おすすめの駅だ。
諏訪駅を最後の訪問駅とし、トレンクルで橋を渡り、長崎空港に向かう。
今回の成果は75駅、通算8236駅の訪問(訪問後の廃止駅を含む。)で、残りは1440駅(旅客扱いせず、徒歩で簡単に訪問できない駅は除く)となった。